気づけば惹かれていた、「この人、誰?」
ある夜、Netflixで映画を観ていた。
正直、特に期待していたわけじゃない。なんとなく、気分転換に選んだ一本だった。
でもその作品の中に、気になる人がいた。
目立つわけじゃない。大きな声で語るわけでも、派手な動きがあるわけでもない。
ただ静かにそこにいるだけなのに、画面から目を離せなかった。
「この人、誰だろう……?」
エンドロールで名前を探して、検索してみる。河合優実。
だけど、そこから先が全然出てこない。Instagramもやっていないし、X(旧Twitter)にもいない。
それが、かえって心に引っかかった。
SNSがないからこそ、もっと知りたくなる。
彼女のことを語れるのは、“画面の中の河合優実”だけだった。
『あんのこと』で観た、痛みの中にある優しさ

引用元:映画『あんのこと』公式サイト|2024年6月7日(金)全国公開
そんなふうに気になった彼女の出演作を、いくつか探して観た。
なかでも強く心に残ったのが、映画『あんのこと』だった。
この作品は、実際の事件をもとにした重いテーマを扱っている。
河合優実が演じるのは、薬物依存や貧困、家庭の問題などに苦しみながらも、懸命に生きようとする少女・杏。
泣き叫ぶようなシーンではないのに、観ていて自然と胸が詰まった。
何も言わないシーンの方が、むしろ強く迫ってくる。
目線の動かし方、指先の震え、呼吸の速さ。
どこを切り取っても、そこに確かに“誰かの人生”があった。
演じているというより、生きているようだった。
痛みを持ちながらも、誰かを思いやるような眼差しに、何度も心を揺さぶられた。
『ナミビアの砂漠』で感じた、静けさの中の存在感

もう一つの作品『ナミビアの砂漠』は、彼女の演技の「静」の魅力が際立っていた。
この映画では、セリフも多くないし、登場時間も長くはない。
それなのに、彼女の存在だけがずっと印象に残っていた。
言葉で説明しないからこそ、余白がある。
その余白に、観る側の想像が入り込む。
彼女の演技は、その余白を「空白」にしない。ちゃんと“何か”を残していく。
余韻が、ずっと体に残るような作品だった。
なぜ、SNSがないのに気になるのか
今の時代、SNSは“人となり”を知る手段になっている。
InstagramやXでの発信、ファンとのやりとり、オフショット……。
好きになるきっかけの多くは、作品以外の場所にもある。
でも河合優実には、それが一切ない。
映画を観て「この人いいな」と思っても、それ以上の情報がない。
だけど、だからこそ、心が動いたのかもしれない。
情報ではなく、演技そのものが彼女のすべて。
“画面の中でしか出会えない人”なんて、今ではとても珍しい。
それが、まるで昔の映画スターのようで、とても魅力的だった。
もっと知りたい。でも、このままでもいい
気になって調べても、SNSもなければ、テレビでたくさん喋る姿も少ない。
雑誌のインタビューも控えめで、どこか距離がある。
でもその距離が、心地いい。
必要以上に近づかないからこそ、「作品の中の彼女」を大切にできる。
現実に引き戻されず、役のまま記憶に残ってくれる。
たとえば『あんのこと』の杏が、もしSNSで料理写真を上げていたら、違う印象を持っていたかもしれない。
河合優実は、その境界を守ってくれている気がする。
あなたにも観てほしい、小さな衝撃
この記事をここまで読んでくれたあなたにも、ぜひ『あんのこと』や『ナミビアの砂漠』を観てみてほしい。
派手なストーリーではないかもしれない。
でもきっと、心に何かが残る。
河合優実という女優は、声高にアピールするタイプではない。
でも、その演技には「観た人の人生に、そっと寄り添う力」がある。
SNSがなくても、情報が少なくても、心に残る人がいる。
それを証明してくれたのが、彼女だった。
なお、今回ご紹介した作品はHuluで配信中です。気になった方は、以下のリンクからチェックしてみてください。
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