離婚してから、思い出ばかりが浮かぶようになった
離婚してからの数ヶ月、僕の頭の中には昔の思い出ばかりが浮かぶようになった。
笑い合った食卓、季節ごとの旅行、一緒に観た映画のワンシーン。
あんなに幸せだったのに、どうして終わってしまったんだろう。
そんな思考に取り憑かれていた。
今を生きるよりも、過去にしがみついていた。
ふと気づいたのは、それが「感情」ではなく、「脳の仕組み」によるものかもしれないということだった。
なぜ思い出は美化されるのか
過去のポジティブな記憶だけが残りやすい
心理学では「ポジティブ記憶バイアス」と呼ばれる現象がある。
これは、人がストレスを感じたり不安になったりしたときに、安心できる記憶を優先的に思い出すという脳の性質だ。
特に離婚や喪失など、心が傷ついているときほど、
「良かったときの記憶」ばかりが浮かびやすくなる。
記憶は事実ではなく、再構成される
記憶というのは、思い出すたびに少しずつ形を変えていく。
これを「再構成記憶」といい、保存された記憶が何度も編集されていくことを意味する。
結果として、楽しかった出来事はより印象的に、
苦しかったことはぼやけてしまい、都合のいい物語が出来上がる。
懐かしさは心の逃げ場になる
ノスタルジア効果という言葉がある。
過去を懐かしむことで、自分の価値や安心感を一時的に取り戻そうとする心の動きだ。
過去に逃げ込むことで、今の不安や虚しさから目を背ける。
それ自体は自然な防衛反応だけど、依存しすぎると、現実とのギャップに苦しむことにもつながってしまう。
離婚後の僕がハマった“記憶の罠”
僕自身、離婚の直後は「どうしてこうなってしまったんだろう」とばかり考えていた。
彼女の優しい表情や、何気ないやりとりばかりが頭をよぎる。
喧嘩や疲弊していた日々の記憶はすっかり影を潜め、
「やり直せたかもしれない」と自分を責めることばかり増えていった。
気づけば、今の生活を完全に否定するような思考パターンができていた。
思い出の美化から抜け出すためにやったこと
映像ではなく、感情にフォーカスする
思い出がよみがえるとき、多くは映像やセリフの断片が先に浮かぶ。
けれど、そのときの自分が「どう感じていたか」は案外忘れている。
僕は意識して、「そのとき、自分はどんな気持ちだったか」を丁寧に思い返すようにした。
すると、無理して笑っていた記憶や、不安を押し殺していた瞬間が浮かんできた。
ただのハイライト映像だった記憶が、ようやく現実の記録として戻ってくるようになった。
記憶は事実ではなく物語
思い出は事実だと信じがちだけど、実際は“編集されたストーリー”のようなものだ。
思い出すたびに脚色され、今の自分の感情に合わせて変化していく。
だから、「幸せだった過去」は、
「そう感じたい自分が書いた物語」なのかもしれないと受け止めるようにした。
比べるのではなく、育てる
過去と比べて今が劣って見えるのは当たり前だ。
なぜなら、過去は“完成された場面”で、今はまだ途中だから。
比べる対象ではなく、育てる対象として今を見つめるようになってから、
小さなことに意味を感じられるようになった。
今はまだ物語の途中。だからこそ、どう続けていくかは自分次第だと思えるようになった。
記憶は優しい嘘をつくことがある
過去が美しく思えるのは、君の心が正常に働いている証拠でもある。
けれど、それが今を否定する原因になっているなら、
その思い出は優しすぎる嘘かもしれない。
思い出は抱きしめてもいい。
でも、そこに住み続ける必要はない。
僕はようやくそう思えるようになった。
そして今、まだ曖昧なこの生活を、少しずつでも自分の手で育てていきたいと思っている。
検索からたどり着いたあなたへ
「思い出が美化されてつらい」
「離婚した相手のことが忘れられない」
「今の生活に意味を感じられない」
そう感じているなら、それは脳や心の自然な反応かもしれません。
だからこそ、自分を責める必要はありません。
少しだけ立ち止まって、
その記憶に潜む“本当の感情”を見つめてみてください。
そして、過去と比べるのではなく、
今を育てていく視点を持てたとき、きっと少し楽になれると思います。
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